ここ10年くらいの、時代を映す言葉として『コスパ最…

ここ10年くらいの、時代を映す言葉として『コスパ最強』というのがあると思う。

コストパフォーマンス(コスト/パフォーマンス比か)なんて言葉は、昔は長岡鉄男くらいしか使わなかった。それもオーディオの高額高級路線へのアンチテーゼが込められていたわけで、長岡さんが自称されていたように、ほんとにドケチオーディオをめざしていたわけではなかろう。

正直、『コスパ最強』という言葉に辟易しているし、そういう言葉に弱い自分にも世間にも辟易している。

車もランチも釣り竿もスピーカーも、へたすると交際相手まで、なんでもかんでもコスパでくくられてたまるかと思う。それをやってしまうと、社会全体がユニークさを失うし、冒険をしないインポテンツにもなる。もうなっているのか。

社会が貧しいから、こういう言葉が蔓延するのだとは思わない。昔は、もっと貧しかった。78年頃に、100万円オーディオという言葉を聞いたけれど、それは100万円で一揃いそろってしまう、中途半端さを揶揄したものだった。今とはなっては信じられない熱量のこもり方だ。

そう、社会が熱量を失っているから、価値の基準が一律にのっぺりしたものになって多様性を失い、コスパなどというどこからも文句の出そうにないものが幅をきかせている。

たしかに2000年頃から日本のものづくりは変わってきて、安くて良いが当たり前になった。小さな釣具の会社をやってきたからわかるけれど、それができないところは片端から淘汰されてしまった。

その時代を経て、日本人の意識の深いところに、ある切実さをもってこの言葉が沁みたのかもしれない。

ランチ650円と580円のコスパを真剣に比較するのは、ばかばかしいことで、まあ冗談だと誰もが思っている。はずなのだけど、ネット上のあれこれを見渡すと、そうともいい切れない感じもする。

少なくともあんまりコスパをいう人に、娘をヨメにやろうという気はしない。

「このアンプ、59800円で重さが21kgもあるんですよ。いい電源を使ってる証拠です。すごいコスパですよね」

という話なら認める(笑)。