この詩の晩秋の野原は、幻のままであり続けていて、似…

この詩の晩秋の野原は、幻のままであり続けていて、似たようなところも思いつかない。たぶん、見たことがない。

それでも心のどこかに刷り込まれているので、今くらいの季節の午後2時くらいの、思いがけないほど衰えた黄色い陽射しに気づくと、言葉と風景が立ち上がってくる。

もはや詩とは体験だとでもいうほかはないのだろう。そして言葉の体験と現実とが、少しずつリンクしていく詩もある。

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枯草のなかで   村野四郎

大方 草もかれたので

野のみちが はっきり見えてきた

このみちは もう少し先まで続き

崖の上で消滅している

――墜落が ぬくてのように待ちうけている 明るい空間

その向こうには もう何も無い

永遠が 雲の形をしてうかんでいる

ぼくには まだ解らない

暗い一つの事がある

それを考えてみなければならない

ぼくは このやさしく枯れいそぐ草たちの上に

身をなげだす

身元不明の屍体のように

まだ いくぶんの温もりはあるようだ

晩秋の黄ろい陽ざしの中にも――

眼をつむる…

すると このどさりとした孤独な臓物の上へ

非常にしばしば 永遠が

つめたい影をおとしていく